来歴: Galerie J、パリ
Niomar Moniz Sodré Bittencourt、ブラジル (1967年に上記より入手)
サザビーズ、パリ、Collection Niomar Moniz Sodré Bittencourt | La Liberté pour dogme、2025年4月10日、Lot. 32
現所有者が上記より入手
展覧会歴: 1965年2月26日-3月25日「Tetsumi Kudo: rien n'est laissé au hasard(工藤哲巳個展:すべてきっちりと)」Galerie J、パリ
文献: 「あなたの肖像-工藤哲巳回顧展」国立国際美術館、2013年、P. 587、ser. 116
コンディション:概ね良好です。全体に細かな埃の付着があります。ケージの塗装が所々剥落しています。ケージ底部のオブジェに浮きがあります。接着剤に経年による黄変が見られます。
工藤哲巳は、少年期を父の故郷である青森で過ごし、1945年に父が早世した後、母の故郷である岡山で高校までを過ごした。東京藝術大学在学中から、戦後前衛美術の重要な舞台であった読売アンデパンダン展に出品し、篠原有司男や荒川修作らとともに「反芸術」世代を代表する存在となる。1962年、第2回国際青年美術家展での大賞受賞を機に渡仏し、その後約20年にわたりパリを拠点として、人間の身体や性、科学、社会制度などを題材に、文明批評的な作品を展開した。
渡仏から3年後の1965年、工藤は美術評論家ピエール・レスタニーの企画により、Galerie Jでパリでは初となる個展を開催。本作《郷愁病用、あなたの居間に》(1965年)にみられる鳥籠のシリーズも、この頃から本格的に展開される。工藤は鳥籠を「スキ間だらけの箱」と呼んだ。「我々は箱がなければ生きられない。我々は箱(子宮)の中で生まれ、箱(アパルトマン)の中で育ち、死んでから箱(カンオケ)の中に入る。生誕から死までの間に我々は我々自身で小さな箱を作る。」¹という工藤の考えに基づけば、鳥籠もまた、何かを単に閉じ込める器ではなく、そこに置かれた人間の姿を観察するための小さな社会の模型と見ることができるのではないか。
さらにその内部では、男性器(工藤は男性器のモチーフを「ヴィジュアルな意味でも、ファンクションの意味でも人工的で、大変滑稽」なものと捉え、人間の身体から切り離された男性器ほど「人間の尊厳」の解体を象徴するものはないと考えていた。)が小鳥のように止まり木で休み、その足元には、もう一つがモルモットを思わせる姿で置かれている。ここでも工藤の言葉を借りれば、「自由とか反抗とか考えると、モルモットを思ってしまう。籠の中で餌をねだり、温度や薬品に反応しているモルモット。俺たちはみんな、あらかじめ使いみちを決められ、しかるべく操作されたモルモット、大量生産のモルモットなんだ」²。自由に生きているはずの人間が、実際には社会や制度によって管理(=飼育)され、条件づけられている。本作の奇妙でどこか滑稽な光景には、そうした現代人の姿が重ねられているのだろう。一方、籠の外に置かれた赤いバラは、一般に「愛」や「美」を想起させる存在であり、内部世界との鮮烈な対照をなしている。
自らを単なる「絵描き」ではなく「ジャーナリスト」と語った工藤にとって、作品とは「ものを考える材料」あるいは「社会評論の模型」であり、鑑賞者自身に思考を促すものであった。本作の鳥籠を覗き込むとき、そこに閉じ込められているのは果たして奇妙な生物なのか、それとも、欲望や社会の仕組みの中で生きる私たち自身なのか。ユーモラスでありながらどこか不穏な光景を通して、その問いを鑑賞者に投げかける。
脚注:
¹ 工藤哲巳「箱」、1976年。個展(Galerie Beaubourg, Galerie Vallois, Paris, 1977)カタログのために執筆。『あなたの肖像 —工藤哲巳回顧展』p. 120より引用。
² 『工藤哲巳回顧展 —異議と創造』p. 14より引用。
参考文献:
国立国際美術館編『工藤哲巳回顧展 —異議と創造』(展覧会カタログ)国立国際美術館、1994年
島敦彦ほか編『あなたの肖像 —工藤哲巳回顧展』(展覧会カタログ)国立国際美術館/公益財団法人ダイキン工業現代美術振興財団、2013年